運営者プロフィール

プロフィールページをご覧頂きありがとうございます。

このページでは、このサイトの運営者である、私の人物像を知っていただければと思います。
インターネットと言う性質上、訪問先のサイトや運営者のことは気になるところですからね。

出来る限り簡潔にまとめたつもりですが、それなりの分量になってしまったので、
お時間の許す方は是非お読み下さい。

 

 

 

中卒です

私は人に誇れる経歴、学歴等はありませんが、その分、色んな世界見て、
色んな経験をしながら現在に至っています。
知らない世界は、「ヤ」の付く職業と、塀の中ぐらいかな。寸前はあったけど・・・(笑

 幼少期の話を入れると、とてつもなく長くなってしまうので、
中学生時代からのことを少し書こうと思います。

 

中学生になって野球部に所属したんですが、好奇心旺盛な時期、
一年も経たないうちに厳しい練習から逃れるように大部。

 

その後、ギターに興味が湧き、ギターを手に入れるためには自分で稼ぐしか方法が無かったので、
年齢を偽ってゴルフ場でキャディー、深夜営業の遊園地でのバイトをして念願のギターを入手。

 

日夜練習に励み、それなりに弾けるようになり、ロックンロールバンドを結成。
バンド活動に没頭しながらも、当時で言う「ツッパリ君」もやってました。
そうそう、ロックンロールに没頭していたので、原宿に踊りに行ったりもしてました。

 

「クリームソーダ」って知ってますか?飲み物じゃないですよ、ショップです。
同世代の人なら、「懐かしい」はずです。 そんなこんなで、学校もろくに行かないような、
不真面目な中学時代を送り、片親だった家庭の事情等もあり、高校への進学を断念。

 

地元の会社に就職したんですが、長続きせずに職を転々。
16歳になって直ぐに、中型二輪免許を取得して、お決まりの道へ・・・

そうです、当時は凄い勢いがあり、社会のゴミ扱いをされていた、「暴走族」ってやつですね。

 

地元や近隣市町村のそれらしきヤツを集めて、小さな小さな暴走族のトップを張ってたこともあり、
仲間を引き連れて大きな集会に出向いては、走ることを思いっきり楽しんでいました。

 

そんな中、集団で無意味な暴力事件を起こしたり、無意味なケンカをするやつらと、
一緒に走ることに疑問を感じ、集会等へ行くことも減っていきました。 月日は流れ、18才。

オートバイから四輪車へステップ

自動車免許を取得した後の一年ぐらいは、「シャコタン」の車で、単車時代同様、
走ることを楽しんでいました。
 

19歳になった頃、「ゼロヨン」というものが流行り出して、
「ゼロヨン」っていうのは、0~400メートルの直線を、チューンナップした車で争う競技のことです。
 

単車の時も、車になってからも、ただ走るだけの自己満足でしたから、
競争して結果の出る「ゼロヨン」という物に魅力を感じ、
その世界に足を踏み入れていくことになったんです。

 

給料のほとんどは車の改造日につぎ込み、毎日のように行きつけのカーショップに出向いては、
同種の仲間達と車改造談義を楽しんで、夜になると、競える場所に行って、
「ゼロヨン」を楽しんでいました。

 

週に何度かは、改造自慢のツワモノ達が集まることで有名だった、調布市にある、
当時で言う所の「30m道路」まで出向き、競走を楽しんだりもしてました。

 

そんな生活を丸一年以上過ごしながら、いつも心の片隅に、 「何かが違う、満たされない・・・・・」

そんな感情があったんです。 そんなモヤモヤした気分で過ごしていたんですが、
ある日、静岡県にある富士スピードウェイに自動車レースを見に行ったんです。

見つけた夢と目標

そしてその日、体中にそれまで感じたことのない衝撃が走りました。

「これだ!」

その日から、カーレースの世界にのめり込んでいったのです。

 

20才から30才までの10年間、寝ても覚めても、「レース、レース、レース」このことしか頭に無くて、
全てがレース中心の生活でした。
レース活動を開始してから1年と少し過ぎた頃にその日は訪れました。

念願だった、初優勝の日です。

 

しかも、偶然自分の誕生日と重なっていたので、二重三重の喜びに溢れた日になりました。
プラス、その日は当時大好きだった彼女を、初めてレース場に招いた日でもありました。

 

優勝カップにビールを注いで、メカニック達と初優勝を祝ったあの日のことは、
今でも鮮明に蘇ってくる大切な大切な思い出です。

 

金なし、コネなし、ノウハウなし。 何もない状態で手探りで始めたレースですから、
「優勝」出来たこと、本当にうれしかったです。

 

その当時の入門クラスのレースでも、レースって金かかります、金が無いと早い車に乗れません。
同じクラスの車に、直線であっさり抜かれてしまう悔しさ、何度涙をこぼしたか分かりません。

 

でも、性能の劣る遅い車に乗っていたことで、一つ大きな収穫もあったんですよ。

「直線が遅い車で良いタイムで走るには?」

そうです、ブレーキングとコーナリングで頑張るしかありません。

 

恐怖心と戦いながらも、ドライビングテクニックを磨けたんです。
最初から高性能車でレースしてたら、違ったはずです。

 

ですから、人並みのマシンでレースに出場した時は、 2位の車が見えないほど引き離して優勝したり、
年間全7レース中、優勝5回、2位一回、リタイア1回(マシントラブル)
そんな成績を残すことにも繋りました。

 

その後、業界にコネが無い割には、順調に成績を残しながら、ステップアップできて、
少しずつパーソナルスポンサーなども付くようになり、

 

専門誌等でドラビングテクニック講座のページを担当したり、
自動車メーカーやカーショップなどが開催する、サーキット走行会の講師など、
その世界で色々と活動を続けていました。

時は過ぎ、私は30才を迎えようとしていました。

正直、その当時の状況では、レーシングドライバーを職業とすることは、
非常に困難な状況でしたので、将来について悩み始めていたんです。

 

20代後半になると、勢いだけではどうにもならない、実生活での色んな悩み、
問題って出てきますよね。 レポーター、ライター、専門誌の編集者など、

 

食べて行く為のいくつかの選択肢があったわけですが、 長い時間色んなことを考えた結果、
きっぱりとその世界から去ることにしたんです。

「レーシングドライバーになりたい」

これが私の一番の目標であり夢だった訳で、ドライバーとして食べていけないのなら、
同じ世界にいると、「未練が残る」気がしたので・・・。

新しい生活のスタート

で、十代の時以来、まともな就職に向けて、就職活動を始めるんですが、
学歴も何かの技術も持ち合わせていない上に、 30才という中途半端な年齢の私には、
就職先の選択肢は限られていました。

限られた仕事選びの中で、一つ重要だったことがあります。

それは、「稼げる仕事」です。 結婚する予定の彼女との問題、
レースでの借金もありましたし、食べていかなければならないです。

 

そして何より、レース活動を行なっていた時代の私生活は、本当に慎ましい生活だったので、
「稼げる事」が重要でした。 そして、某大手運送会社「○○急便」に就職しました。

 

今は勤務時間や休日等が改善されていて、私が就職した当時から比べると、
大分楽になっているようですが、 私が就職した当時は、朝の6時半から深夜12時過ぎまで、
昼食をまともに摂る時間もない程、ハードな毎日でした。

 

私が三十歳でも新入社員「新人」ですから、二十歳前後の若いやつに、
呼び捨て当たり前で「こらー」「早くしロー」「お前ふざけてるのか」「車つけとけ」・・・
我ながら良く耐え抜いたと思うほど、小僧扱いでした。我慢、我慢の毎日です。

 

社員の中に数人、私の過去を知っているやつがいたこともあり、直ぐに、
私の十代の時の武勇伝が伝わり、 いつの間にか私を小僧扱いしていた職場の先輩達は、
私を「さん付け」で呼ぶようになってました。(笑

 

そんな職場の中で、頑張って、頑張って、半年後、早くも昇給の日が訪れ、
一気に15万円昇給です。

 

レース界から離れたことで襲われる、淋しさ、辛さ、悲しさ、そんな気持ちを抑えるように、
必至に営業しましたから。 そんな中でも、辛い出来事がありました。

 

配達のため車を停車して後部に移動すると、 見知らぬ若者が、

「あのー○○さんですよね・・・」 「いつも雑誌のドラテク講座や記事を見てました・・・」

トラックの後ろに張ってある私の名前を見て、後をついて来たらしいんです。

 

この時は、正直言葉を失いました。
なんて言葉を返して良いか分からず、しどろもどろになってその場を立ち去った気がします。

 

「夢」を与えていたはずが、「夢」を壊してしまったかもしれない。 そう感じたんです、その時の私は。

 

その日から数日は、かなり落ち込んだ日々が続き、
レース時代の映像や写真を見ながら過去を振り返る夜を過ごしたりして、
今と過去の自分に対して自問自答する毎日でした。

 

その後、運送会社を退社して、運送業で独立。

 

「独立」と言っても、軽自動車一台で始めた下請け業者です。
独立した当初は、月収も15万~20万と大幅ダウンして、かなり厳しかったですが、
少しずつ仕事量も増えていき、月収50~60万程度は安定して得られるようになりました。

 

その代わり、軽自動車で毎日最低180km前後は走るほど、ハードな日々でしたけど。
その間に結婚もして、順調だった日々が続いていたんですが、
ある日の朝、ベットから起き上がることができなくなりました。

悪夢のような出来事

頚椎にそれまで味わったことの無い激しい痛みが走り、身動きが取れないんです。
動かせるのは、手首から先だけで、起き上がるのは勿論、寝返りさえも出来ない状態です。

 

レース時代に一度、大きな事故を経験しているので、その古傷とハードな仕事を続けて来たことで、
三十台半ばになって弱り始めていた私の体が悲鳴を上げたんですね。

 

その後、約二週間ほど治療と休養した後に、仕事に復帰したんですが、
その一ヶ月後、更に酷い状態で再発。

 

運送業を続けることを断念するしかなくなり、収入源を失うことになったんです。

 

それなりの収入があった生活から、無収入の生活へと、状況は一変した訳ですね。
蓄えることを行なっていなかったので、直ぐに現金は底をつき、
その当時乗っていた車を処分したりして、体が回復するまで食いつなぎました。

 

その頃の悲しいエピソードがあります。 「再発」ということもあり、一度目に比べ、
なかなか症状の改善が見られずに、毎日家で過ごしながら回復を待っていたんですが、

 

そんな私の体を直してくれたのは、医者でもなく、薬でもなく、休養でもなく、
当時、飼っていた柴犬が、私の体を直してくれました。

 

「うそーっ」 信じない人もいるかもしれませんが、本当の話なんです。

 

その柴犬は、いつも玄関の中に自分の居場所を作り、寝る時意外はその場所にいるんです。
当然、毎日家にいる私を見ているわけですね。

 

で、ある日、妻と私と二人で、その柴犬と話しをしてたんです。
その時、何を思ったのか妻が柴犬に向かって、

 

「matsueさんの病気を背負っちゃダメだよ、時間が経てば直るから心配しないで・・・」

 

そう話しかけたんですね。 きっと妻は何かを感じてたんでしょう。

 

私も、万が一そんなことがあっては困るので、

「大丈夫だから、大丈夫だから、心配するな・・・」

そんな風に愛犬に向かって話したのを覚えています。

 

そんな話をしてから一週間も経たないうちに、
それまで元気一杯だった愛犬が急に具合悪くなってしまい、 2日程様子を見たんですが、
日に日に具合悪くなっていくので、動物病院につれていったんですが、そのまま入院。

 

動物病院の診断では、原因が不明とのこと。 愛犬が悪くなる一方で、
平行して私の症状は日に日に回復に向かったのです。

 

「偶然」そう思う人もいるかもしれませんが、 間違いなく、その柴犬が私の病を自らの体で背負い、
私を救ってくれたと確信しています。 そう思う理由は他にもあって、この犬との出会いにあります。

 

私は二十歳ぐらいの時から賃貸の一軒家で一人暮らししてたんですが、
その柴犬は、ある日突然私の家の玄関の前に現れ、そのまま私の家で暮らすようになったんです。

 

それまでは家に帰っても誰も迎えてくれませんでしたが、犬が迎えてくれるだけでも、
今思えば、随分救われてた気がします。
この柴犬との出会いは、神様が引き合わせてくれたプレゼントだったかもしれません。

 

過去に飼ってた犬の時でも、犬が怪我をして家族を救ってくれたこともあるんです。
我が家の犬のことを何も知らない占い師のような人が、

 

「犬を飼ってませんか?」「その犬が怪我をしませんでしたか?」 そう言い当てて、

 

「もしその犬が怪我をしてなかったら、あなたが大怪我をしてたんですよ。」 そんなこともありました。

 

「そんなー」って、笑いたい人はどうぞ笑ってください。
今でも頚椎と腰椎の疾患では悩まされていますが、
それ以降、頚椎が原因で動けなる症状は発生してません。

 

話が大分逸れてしまいましたが、大好きだった愛犬は、入院して数日後、
天国へと旅立ってしまいました。
それまで、何度も犬を飼ってきて、悲しい別れを幾度と無く経験していますが、
この柴犬との別れが、一番辛かったです。 私の身代わりになってしまったから・・・・。

 

悲しい別れの後、体も回復して、新たな仕事探しが始まります。

 

レースでの事故後、整体やマッサージなどで、体の管理を行なわないと具合が悪くなってしまうので、
ずっと続けていたんですが、 それが元で、その世界に多少興味もあり、
ある時、整体の学校の新聞チラシが目に入り、一度学校を見学した後、整体師になる為に入学。

 

卒業後、別の二人の先生の下で、一年ほど修行した後に、独立開業しました。
その後、現在まで整体師を続けながら、(途中で治療院つぶしてます)が、

 

2008年、ブログを始めたことをきっかけにアフィリエイトを知り、現在、細々とアフィリエイト活動中です。
リアルでもネット上でも、人との出会い、つながりは、非常に大切です。

 

でも、良い出会いって難しいですよね。 子供の頃から知ってるヤツなら、
気心も性格も分かるけど、大人になってから出会う人たちの中で、
本当に信頼できる人や、信じられる人を見つけることは難しい気がします。

 

「出会い」の場も、ある程度限られてきますしね。
特にネット上の場合、基本的にどこの誰だか分からないですし、経歴も活動内容も、
好きなことを書ける訳で、判断が難しい部分もあります。

 

いろんな人の活動状況を見ていれば、

「信じて良い人」「信じられそうな人」「信頼出来そうな人」見えてくると思います。

もしかしたら、一度や二度は失敗もあるかもしれませんが、失敗は成功へ向けての肥やしですから、
恐れずに一歩踏み出す勇気は必要です。
動き出さないことには、「成功も」「失敗も」経験することはできませんよね。

 

 私の好きな名言に、こんな言葉があります。

 

『失敗とは、転ぶことではない。そのまましゃがみこんだままでいることである。』

 

『やってしまった後悔はだんだん小さくなるけど、やらなかった後悔はだんだん大きくなる。』

 

もしあなたが、何か迷っているなら、一度声をかけてみて下さい。

メール問い合わせ&相談はこちらから

 

長いプロフを最後まで読んでいただきありがとうございました。

sakipapa

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2010年7月26日

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